展示館てどんな所?駐車場は?地元府中市の外壁塗装店スタッフが武蔵府中熊野神社古墳に行ってみた
府中市紅葉丘の塗装店『三商事』の長坂利昭です。
久しぶりに塗装以外の事、私たちの地元府中にスポットを当ててみようかと思います。
今回は、府中市西府町にある「武蔵府中熊野神社古墳」をご紹介!
武蔵府中熊野神社古墳の場所
古墳というと、大阪府堺市の「百舌鳥・古市古墳群」にある「仁徳天皇陵古墳」が真っ先に思い出されますが、日本全国には大小様々な形の古墳が十数万あると言われています。「でも、東京には無いよね?」と思われがちですが、そんなことはありません。東京にもたくさんあります!その一つが、この「武蔵府中熊野神社古墳」です。
古墳があるのは、東京都府中市西府町。国道20号甲州街道に面した「熊野神社」の奥(北側)です。
武蔵府中熊野神社古墳は”とても希少な古墳”
7世紀の中頃。今から約1350年前の飛鳥時代に造られたと考えられる「武蔵府中熊野神社古墳」。
「上円下方墳」と呼ばれる形状をしています。上段が円形、下段が正方形なんですね。現在、復元をされ上段下段とも石で覆われた造りとなっています。
このような形状の古墳は、ここ「武蔵府中熊野神社古墳」の他、福島県白河市の「野地久保古墳」、静岡県沼津市の「清水柳北1号墳」、そして奈良県奈良市の「石のカラト古墳」の4基しか発見されていない珍しいものであり、中でも最大・最古のものが、この「武蔵府中熊野神社古墳」なんだそうです。”日本一の古墳”が府中にあるというわけですよ!素晴らしい!!
(※展示館に掲載の資料を元に書きましたが、2021年現在、東京都三鷹市の「天文台構内古墳」、埼玉県川越市の「山王塚古墳」も「上円下方墳」と確認されているようです。)
古墳中央には、3室からなる石室が確認されており、埋葬施設つまりお墓であることが分かっています。残念ながら、埋葬された人物の特定までは至っていないようですが、これだけのお墓であれば、当時の有力者、偉い人物というのは間違いないでしょうね。
長年、熊野神社の裏山として地域の方々から親しまれた地だったようですが、長年「古墳ではないか?」との噂があり、2000年(平成12年)に地中レーダー探査。裏山の地中には構築物が埋まっていることが確認され、やはり墳丘であることが判明。その後、本格的な発掘調査が行なわれ、2009年(平成21年)に現在の通り復元されました。途中、2005年(平成17年)には国史跡に指定されています。
ちなみに・・・近代の天皇陵(明治天皇「伏見桃山陵」、大正天皇「多摩陵」、昭和天皇「武藏野陵」)も「上円下方」の形状をしています。古墳というと「前方後円墳」の形状ばかりが頭に浮かんできますが、今を生きる私たちにとっては「上円下方墳」の方が”普通”なのかも知れませんね。
小学6年生のお子さんがいるお父様!お母様! 古墳展示館で一緒に学びましょう!!
古墳から神社を挟んで南側。国道20号甲州街道沿いには「武蔵府中熊野神社古墳展示館」があります。
埋葬時の副葬品がほとんど残っていなかったため、展示物はあまりありませんが、パネル等でこの古墳の様々な説明がされています。私は平日の午後に行ったおかげで、他に見学者がおらず、ゆっくりじっくり1時間ほど掛けてパネルの説明を読むことが出来ました。
ところで、小学6年生になると、社会で日本の歴史を学びますよね。縄文時代からの学習となりますから、このような古墳についての話しは今月中もしくは来月中には始まるのでしょうか?
私も含め、府中市周辺に住んでいる人にとっては、教科書に出てくるような古墳に足を運ぶことは、このご時世で難しいかと思いますが、その”時代”を学ぶと考えれば、ここ「武蔵府中熊野神社古墳展示館」はとても良い場所ではないかと思います。教科書を読んで学ぶだけでなく、所縁のある地へ赴き、当時の様子を思い浮かべてこそ身になるものだと感じています。歴史に興味のないお子さんたちも、きっと興味を持つようになってくれると思いますよ!ぜひ、ご家族で行ってみてください!!
なお、通常であれば展示館に併設された「石室復元展示室」にも入ることが出来るのですが、現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、当面の間は入ることが出来ません。残念ですが、こればっかりは仕方ないですね。早期収束を祈りつつ、見学が再開した際には必ずまた訪れたいと思っています。
『武蔵府中熊野神社古墳展示館』のご案内
【住所】東京都府中市西府町2-9
【電話】042-368-0320
【開館時間】4月~10月 9:00~17:00
11月~3月 10:00~16:00
【入館料】無料
【休館日】月曜日(祝日、振替休日の場合は翌平日)
年末年始(12月29日~1月3日)
その他臨時休館日など
【アクセス】JR南武線西府駅より徒歩8分
京王バス「西府町2丁目」もしくは「西府町3丁目」から徒歩4分
駐車場はありません(周辺の道路も狭い道が多いため、路上駐車は絶対にしないでください)
なお、古墳自体はいつでも見ることが出来ます
詳しくは、府中市のホームページをご覧ください(こちらからどうぞ)
府中市の古墳は「武蔵府中熊野神社古墳」だけではない!
府中市には、古墳時代の遺跡がまだまだあるそうです。
(府中市文化スポーツ部ふるさと文化財課発行パンフレット「府中の古墳」より抜粋)
府中市の地形は、主に多摩川によって作られた河岸段丘と沖積低地で形作られています。河岸段丘の部分、いわゆる府中崖線(地元の方は「はけ」「はけの道」なんて言いますね)の北側に沿って、多くの古墳や竪穴建物があったことが分かっています。私の祖先が、あなたの祖先がこの辺りに住んでいたかも・・・と考えるとおもしろいですね。そのご先祖様が、今の府中の街並みを見たらどんな風に思うんでしょう?
悠久の歴史を持つ「府中市」。素敵な街です!!
【2021年4月21日追記】
武蔵府中熊野神社古墳の事を調べている内に、近くにある「御嶽塚」「高倉塚古墳」も見たくなり、後日改めて現地へ行ってきました。
「御嶽塚」はJR南武線西府駅南口の目の前にある御嶽塚公園の一角にあります。府中市西府文化センターのすぐ隣ですね。公園の一部のこんもりとした丘(山)として、当時の面影を残しています。
この周辺に築かれた14基の古墳の一つと考えられており、円筒埴輪や太刀・耳飾なども出土しています。この一帯は、御嶽塚古墳群と呼ばれており、範囲は国立市境付近まで及んでいるんだそうです。
「御嶽塚」の南側は、すぐに河岸段丘、府中崖線(はけ)となっています。(私もちょっと”高低差”好きです笑。ここ、いい”高低差”ですよ!)
そしてもう一つの「高倉塚古墳」。
こちらはJR南武線及び京王線の分倍河原駅から西側に数分の所。現在は、まさに住宅街という中にあります。
こちらの古墳も25基確認されている「高倉古墳群」の一つであり、周辺にも墳丘の一部が塚として残っているものが3基。この一帯からも、土器や太刀などが出土しています。
私が訪れた時、よちよち歩きのお子さんが一生懸命に坂を上り下りしていました。造られて長らくは、神聖な場所として立ち入ることも出来なかったであろうこの土地。今は憩いの場となっていることに、歴史の面白みを感じました。過去を大事にしつつ、今そして未来も、有意義な場所となり続けると良いですね。
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