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  • 三商事の社長からあなたへご挨拶を・・・

初めまして!府中市紅葉丘の”地域密着の塗装店”三商事の上神谷 裕治と言います。

ぼくの名前、難しいですよね?大概の方は読めませんから・・でも、ここがインパクトがあってかえって良いとは思っていますけれど・・・。

こう書いて(かみかべや ゆうじ)と読みます。「かみかみや」と読みそうですが、「べ」なんです・・。難しいですよね?ちなみにひょんなご縁というか・・珍しい名前同士は引き合う・・というか・・で知り合ったのですが「かみかみや」さんも実在します・・同じ字を書きます。

名前のお話でだいぶ来てしまいましたね・・・それはそれとして・・・

代表してのご挨拶を・・・

2016年より、義父 上神谷 三郎よりこの三商事の代表を引き継ぎました。

外壁、屋根などの塗装工事というのはいざしようと思っても、本当に不安な方が多いと思ってます。

なかなか、この住まいの塗り替えの情報というのは、普段普通に生活していれば自然に入ってくる情報というものがほとんどないです。

 

なのでご不安をもたれるのは当然のことです。

ですからまずは情報発信が大事だと思っています。

今後もより一層、お客様のご不安を取り除いていくような・・・

そんな塗り替えのご案内、おすすめをしていきたいと思っています。

 

地域に根ざした営業活動を中心に従業員一同、がんばっていきたいと思いますので、どうぞ、よろしくお願いします。

 

でも、三商事ってどんな人がやっているの?

顔が見えないとなると不安ですよね。

そこで、私がどのような人間で、なぜ私が塗装店の社長をすることになったのか、どのような想いで、塗装をお届けしているのか、ということについてお話していきたいと思います。

引っ込み思案でおとなしい子でした・・・。

昭和41年(1966年)9月12日に東京の下町 荒川区でぼくは生まれました。

そして幼稚園に上がる直前で、埼玉県草加市に引越します。

幼稚園、小学校とあまり目立たない、引っ込み思案なおとなしい子だったと聞きます(本人はよく覚えていないです・・・)

ただテレビが大好きで、ウルトラマンと仮面ライダーを見て育ちました。仮面ライダーは50歳になった今でも好きで、ブログを立ち上げています。

中学、高校とぼくは当時のテレビの歌番組、バラエティー番組をみているうちに「好き」と言う気持ちからそれが「憧れ」と変わっていきます。

大学に行くことに意味を感じなかったぼくはテレビの世界に飛び込もうと、その関係の専門学校にいくことになります。そして、その業界では1位2位の会社の試験に合格し、入社することになるのですが・・・

ぼくが味わう最初の挫折

噂には聞いていた「厳しい勤務態勢」です。朝早くから夜遅くまで。深夜に家に帰ることは当たり前で、ときには帰れないこともありました。

でも、それはある程度覚悟していたことでもありましたし、それが「こういうものだ」くらいにしか気にならなかったです。激務でありながら、その仕事を覚えなければ・・・ということに必死だったんですね・・・。

ですが、それより辛かったのは「先輩たちのイジメ」でした。歌番組やバラエティー番組は撮影の待ち時間というものがあります。そこで壮絶なイジメに合うんです。

「いい大人がこんなことやってどこがおもしろいのかね・・」

そんな風に思いながら耐えていましたが、日に日にエスカレートしていくばかりのイジメにとうとうこんなぼくでも、倍くらい年の差のある先輩たちに向かって、キレてしまいました・・・。

ある番組の収録中の待ち時間だったのですが、ぼくはその現場を飛び出しそのまま家に帰ってしまいました。・・・そしてそれっきりその会社には行きませんでした。(・・・でも後で退職届を提出しには行きましたけど・・・)ぼくが20歳のころのお話です。

いままで、何事もなんとなくこなしてきた自分が味わう初めての挫折でした・・・

いじめだけではなく、社会人としての「なっていない部分」の指摘も星の数ほど受け、それと同じだけおこられてきました。

「こんなにわかってなかったんだ・・・」と打ちのめされる日々でした・・。

その会社をやめてしまったぼくは公務員の試験を受けようと昼夜のアルバイトをしながら勉強をすることにしました。

それでも・・・公務員は甘くはないですね・・。見事に不合格・・要因は点数以外のところにあったみたいです・・。これは勉強してもムリだと思ったぼくは将来の当てもなくその昼夜のアルバイトを一生懸命にやるのでした・・。

生きる力と自信をつけさせてくれたのはアルバイトでした・・・

話は前後しますがテレビの世界に入る前の専門学校時代に、カラオケのスナックでアルバイトをしていました。テレビの世界をやめた後の夜のアルバイトとはこちらのことです。

出戻ったわけですね。

 

出戻った後は、出戻る前と従業員の面子が変わっていて、経験の浅い方ばかりでした。ぼくは出戻ったとはいえ、一番ベテランだったのです。

出戻る前はぼくは一番日の浅い従業員でした。働いていると古くからの友人たちが来店してくれるのですが、決まって言われる言葉がありました。それは

「ぜんぜん似合ってないね・・・信じられない・・」です。

成績は上の下?どちらかと言えば大人しく、中学校では学級委員、高校では生徒会部活は卓球部で6年間、強くはなかったですが、まじめに取り組んできて・・

そんなぼくのイメージが水商売であるスナックの従業員と重なりづらいのは仕方ないと思います。

 

実はぼくも自分を客観的に見たときに、とてもできなさそう・・と思ったものでした。それでも、やってしまったのは高校時代の友人の誘いからでした。

で、やってみたのはいいけれど・・・なんとなくわかってはいたんですね。

「役に立ってない」のが・・・。接客、料理、歌・・・何もかも他の従業員がカバーしてくれてました。

そしてそのままテレビの専門学校を卒業する時がきて、テレビの世界に入るため、そのスナックも卒業・・・となったわけですが、半年で出戻ってきます。

 

出戻ってきてみると一番ベテラン・・・これは自分が頑張るしかないです!接客から、料理、カラオケの仕切り、片付け・・・・今度はぼくが日の浅い従業員に教えながらがんばって働きました・・・。

そして次の就職が決まったのが2年後くらいなのですが、そこでまた再卒業となります。

 

その何年か後にぼくはそのスナックのママさんのお嬢さんの結婚式に呼ばれます。

そこではご出席されている方々のテーブルにいき、お酌をしたりと、どちらかと言えば”従業員風”な感じでの出席でした。

昔の仲間の従業員があと二人いて、同様に接客していると、ママさんのご挨拶のときに「昔の従業員がこんな形できてもらってます」というような紹介をご出席の皆様にして下さいました。その紹介が今でも忘れられないんですね・・・

「こいつは今までいた数入る従業員の中で、一番成長してくれた。従業員が手薄なあの時期(ぼくが出戻った時期)こいつがいてくれたおかげでどれだけ助かったか・・・歌の成長も一番だったし、料理もこなせるようになり、お客様受けもよくなって・・・」

本当にありがたかった・・・一番褒めていただいた・・・しかもこんなに大勢の皆さんの前で・・。

 

お恥ずかしいお話ですが、ぼくはとても涙もろいです。「感動屋」さんです・・・なのでその場で泣いていました。その後の打ち上げの飲み会でさんざんからかわれましたけれど・・・

 

でも、ぼくが思わず涙したのは・・・

「だってさあ・・・」

この出来事があった以前に、ぼくの出戻る前の勤務状態を見て、ぼくをそのアルバイトに誘った友人は本当に怒られたそうなんです。

 

「なんで、あんなヤツ連れてきたんだ!何にも出来ないし、やろうともしないし」

 

友人はぼくのせいで怒られた・・・ぼくは何もできなかったし、何もやろうとしなかった・・ただいるだけの使えないヤツ・・・そういう目で見られていたんです、やっぱり・・・。口には出しませんでしたが、当時の従業員一同、本当にこう思っていたそうです・・・。

この話を聞かされているからこそ、あれを言われて本当にうれしかったんですね。

よかった・・役に立つことができたんだ・・よかった・・・。ママさんもそういう当初の思いがあったからこそ、ぼくの成長を喜んでくれて、みんなに紹介してくれた・・・。

 

そしてまた飲んでいるその席で、お酒も入っていることもあって泣いてしまいました・・。

 

このカラオケスナックのアルバイトで

「人の役にたつ喜び」をはじめ、いろいろなことを学ばせていただきました。

そして自分に自信をつけさせていただいたことが一番大きかったです。人間いざとなると持っている力以上の力がでるもんだ・・・あのままずっとベテランの従業員に頼っていたら、こうはならなかったと思えてなりません。

 

そこから、どうして塗装屋さんになっていったのか?と思いますよね。

でも実は私は、・・・・・

塗装屋さんになりたかったわけではありませんでした・・・

正直申しまして、塗装屋さんになろうとおもったきっかけは

「前職の上司を見返してやりたかったから!」です。

その後さらに私は、22歳から35歳までの13年間、生協の配達という仕事をしていました。府中市を中心に多摩の地域の事業所を8事業所ほど周り、最後は羽村の事業所で退職となります。

仕事の実績は・・ずば抜けているわけでもなく、かといって悪いわけでもなく・・普通の職員でした。ですからそれなりに出世もするのですが、最後は成績が悪く降格させられました。

 

事業所の一般の職員やパート職員をまとめる・・そのような役職と新規顧客獲得の指揮官・・そんな役職まではいきましたが、人をまとめていくことは本当に難しい・・と実感しました。

最後と、最後から2番目にいた事業所にとてもきびしい上司がいまして・・・いまでこそ「パワハラ」という言葉がありますが、当時はそれがそんな言葉で表現されることはなく、むしろ当たり前・・・のように行われていました。

「おまえは仕事ができない・・・」「新規獲得ノルマはどうなっているんだ?」「できるのか?できないのか?」

厳しさ・・というものとはまた違った感触がありました。

 

私は現在53歳です。ですから18年も前の話ですから、うろ覚えのところの方がおおい・・

むしろ私は「イヤなことは忘れてしまう・・」という特技も持っていますので良く覚えていないのですが、とても打ちひしがれていました・・。

 

事業所の営業成績の責任を追っていますので、いつも成績に追いまくられている1日・・。朝は事業所の幹部としての出勤のはやさ、夜は毎日毎日会議で遅くまで・・。

そんな夜遅くまで会議をしたとことろで状況は変わりません・・。帰宅はいつも午前様でした・・。

一人ぐらしの時の生活リズムはそれはひどく、帰宅時にコンビニ弁当とビールを買い込む・・あまりの出勤の早さと昼間の急がしさ・・で朝昼と毎日食事を抜いているせいもあり、夜の食事はそのうさをはらすように食べたいものを食べたいだけ食べて飲んですぐ寝る・・。

そんな毎日でした。だからこんな病気になってしまったのかもしれませんね・・。

 

そして自分も営業の最前線でがんばらないと・・みんなと一緒になって数字をつくらないと。そう思って外回りにも出かけていました・・。

すると上司から「おまえは出てはいけない。おまえはみんなに指示をださないといけない立場・・」そう言われて止められてしまいます。

指揮って・・?なにすりゃいいんだ? わからないから、自分も動かなきゃ・・と思うのに。ですが私もスーパーセールスマンではありません。先にもかいたとおり普通の成績の人間です。そんなに都合良く数字は持ってはこられません・・。

 

事業所にいたらいたで本当に何をしていていいのやらわかりません。それでも傍らには上司がいます。表に出ていた方がよほど気が楽です。そんな調子でしたから「トイレに閉じこもるように」なりました。情けないかぎりです・・。

 

自分の居場所がなかったのです・・・。「人の上にたつ」というのがこれほど難しく、いやな仕事・・という思いで一杯でした・・。そして、成績不振・・・ノルマ未達・・・降格人事です。

そして上司にはバカにされる日々・・。

さらに、リストラの波が・・・

今でこそリストラ・・という言葉が当たり前になっていますが、当時も正規職員がどんどんパート職員へ・・と切り替えられていた時期でもありました。生協の主軸である「配達」という業務でさえも業者に委託・・・。

「生協と言えば配達が仕事」という「いうなれば当たり前の世界」が・・・

「その仕事がなくなるなんて、考えもしなかった」わけです、正規職員は・・。それが正規職員の手から離れていく・・という時代になってきたのです。

もちろん人件費削減のためです。正規職員を雇っているより、配達パート職員、配達請負業者への委託の方が削減できます・・。

正規職員が「必要ない時代」になってきた・・。それを思った時に私は「これからは組織をマネジメントできないと・・正規職員としては残っていけない。人を使う立場にならないといけない・・」そう強く思いました。

自分にそういう「イヤな仕事」ができるのだろうか?

そしてまた上司に嫌がらせを受けながら、その仕事をしないといけないのか・・?

 

そう思った時に「じゃあ、自分で何かをやってやろう」とおもったのです。

 

ではなにをやろうか・・・考えたときに自分の父親の稼業であるタイル業は、そのときにはもう無くなっていましたので・・。妻の父親の塗装業をやってみようと思ったのです。

 

とにかく「自分の力で生きていって見せる!看板なんていらない!馬鹿にしていた上司たちを見返してやるんだ!」

当時は本当に勢いだけでした・・

 

できるかできないか・・そんなことは考えなかったです。とにかくやってやるんだ!という気持ちしかなかった・・

考えていたらできなかったでしょう・・思いとどまってしまったと思います。

そしてただ「いやだから辞めた」というコトだけが残って・・どうなっていたかと思うとちょっと怖いです・・。

一応、退職の送別会は開いていただきました。上司に向かって、残るみんなに向かって

 

「これからは生協という大看板はなくなります。ですが、自分の力で道を切り開いて言って見せます!」と宣言しました。

 

そして35歳のときに三商事の門を叩くのでした・・・。そして、職人をイチから教わり、営業もしながら・・という日々が始まるのでした・・。

 

ここまででおわかりかと思うのですが・・本当にまったく最初は「塗装というお仕事に使命感をもってはいなかった」のです。

ですが・・やっていくウチにあることに気づいていきます。それは・・・

「お住いの塗り替えでかわいそうな目に会ってしまう方が思った以上にたくさんいる」ということです。

 

せっかく高いお金を払ってやるのに、満足していない人が7割もいる・・そんなデーターもあるくらいです。

私は地元の府中市を中心に営業活動、そして施工をしています。

もちろん、他の地域も行きますが中心はここ府中市です。

 

地元の業者として知っていただく限りは、地元の方にむかっていい加減なことはできません。

だって、自分の住む街でお客様に会うのです。そのときに笑ってあいたいじゃないですか!お互いにあのときはお世話になりました!って言いたいのです!

そのためには・・きちんとした仕事で納めないといけません。きちんとした仕事をするためには、価格も高くなる場合もあります。

 

それでもきちんとやっていただきたい!というお客様も多くいます。

塗り替え・・どうしよう?やる?・・って、たくさん悩んで、じゃあ、どこでやってもらう?ってそこも悩んで・・・ようやく出会っていただいた・・・

もう、本当に「選んでいただいてありがとうございます!」としか言えません。

 

やってよかった!と言っていただきたい

そういうがんばって決めていただいたお客様には絶対に「やってよかった!」と言っていただきたい・・。

それがこの仕事をやっていくウチに芽生えた私の使命感です。

「やっぱり、やらない方がよかった・・・」という悲しい目には絶対に会わせない。金額の大小の問題ではないかもしれませんが、それでも(決して安くはない金額)を出していただいているのです。思い切って決めたのです。

・・・それなのに「やっぱり塗り替えなんてやらない方がよかった・・損した・・」なんて思わせてしまうわけにはいかないのです。

 

まずは「塗り替え、思い切ってやって本当によかった!」そしてさらに言わせていただくなら「あなたに頼んで良かった・・!」って言われることが一番嬉しいのです。

こう言っていただくことが「私のこの仕事に対する使命感」です。

絶対に後悔させたくない!お客様が思いきって決めたことなのです。だからこそそれに答える仕事をして差し上げたい・・・と思っています。

 

そして出来ることならいつまでも、そういう風に言っていただきたい・・と思うからこそ“地元の利”を最大限に発揮したフォローをあとあともさせていただいています。

 

この仕事を始めてから早いもので今年の2月で丸17年・・親方から三商事を引継いでからは5年目を迎えることができました。

右も左もわからず、最初は本当に「怒りと勢い」だけだった私ですが、それでもやり続けて居るウチにさまざまなお客様に出会い勉強させていただき、今では私なりの使命感をもって仕事をさせていただいております。

そしておかげさまで「お客様が7ヶ月待ちの塗装店」となりました。

 

これからも出会っていくお客様には、絶対に「思い切ってやってよかった!」と言っていただけるように、丁寧にそして寄り添いながら、塗り替えをして行きたいと思います。

 

・・・・・・

長々と語ってしまいましたが・・・

こんなぼくですが、これをきっかけにお知り合いになれれば・・・嬉しいです。

外壁塗装、塗り替えについて、わからないことがあったら、ぜひぜひメールをください。できる限りお答えしていきたいと思います。

まずはこちらを読んでくださった方とコミュニケーションが取りたいと思っています。

お見積もりはもちろん無料ですし、だいじな事ですが、その前に聞いて起きたい事がある・・というようなことでも大歓迎です!

ぜひ、ご質問、疑問を聞いて下さいね。

こちらからどうぞ→→→ メールフォームへ